父と母のこと。

時節柄、喪中ハガキにて、
生徒さんはじめお世話になっている皆さまには
お知らせしたので、
こちらでも書かせていただきますが、
7月23日に父が、そして先週11月30日に母が
天国へと旅立ちました。

夏から、仕事か両親のことか以外
時間も思考も取れない日々で、
こちらにも必要最低限の告知などしかできず
すみませんでした。


父は、今までに何度も入退院を繰り返し、
救急車にも何度お世話になったことか…というくらい。

大腿骨を2回骨折しても、リハビリで歩けるようになり、
胃がなくなっても食べたいものを食べていましたし、
不死身か?と思うほど、何度も復活を遂げ…

でも、6月上旬に肺炎で入院してから、
一度は、リハビリ病院でリハビリを始められるほどに
回復したものの、その後またすぐに急変し、
2回目の肺炎で帰らぬ人となってしまいました。


母は、昨年8月に救急搬送され、一命はとりとめたものの
認知症が一気に悪化、退院後リハビリ病院に入り、
書を書いたり回復しているかに見えましたが、
自宅に戻ることは難しいとの見解から施設に移り、
昨年夏から父と母は離れ離れとなってしまっていました。


父が今年の夏入院中に、母も施設から腰椎骨折で
少し離れた別の病院に入院・・・

両方の病院に通うのも大変で。。。

父がリハビリ病院に移ることになり、
その後母も同じリハビリ病院に移ったら
ようやく一緒に過ごせるのではないか!!!!と
準備をしだして、やっと同じ屋根の下で過ごせることに
決まっていたのですが・・・

母がそちらに転院する予定の2日前に
父の容体が急変してしまったので、
入れ違いになってしまったのです。

ここでも七夕に祈った願いは、届かず。。。


母には、父が亡くなったことを言っても
忘れてしまうだろうし、どこまで理解できるか?
なら、わざわざ悲しい想いをさえなくてもいいねと
話しませんでした。

そして、父の葬儀を終えた直後に、
今度は母が誤嚥性肺炎に・・・

食事を摂ると危険とのことで
だんだん衰弱していってしまいました。

積極的な治療をするか否かの選択を迫られ、
姉妹で悩んだ末、無駄に苦しいことはさせたくない、
穏やかに過ごしてほしいと願い、
結局療養病棟へ移りました。

でも、いざ移ったら、
私物の持込は、極力ないようにとの
無機質な病室。。。

食堂で食事ができるのはほんの5,6人の患者さんのみ、
ただベッドで寝てる患者さんの多いこと。。

なかなか心が追い付いていきませんでしたが、
母に少しでも人間らしく、楽しいと思える
時間を過ごしてほしくて
行ったらできるだけ明るく、
イケメン好きな母でしたので、
羽生くん、福山さん、櫻井君、
そして大好きなマーくんの
写真や映像を見せたりもしていました(笑)

母の反応は大で、乙女な表情をしていました(笑)


車で一緒に出かけていた頃は、
いつもノリのいい曲で手拍子をたたいたりしていた
音楽好きな母・・・

なんとか音楽を聴かせてあげたくて、
先生や看護師さんに交渉、
ようやくCDデッキを置かせていただける
許可をいただけて、
母が好きだった曲を集めて
私達家族が行った時は、それを流させてもらい、
スリープタイマーで、帰ってからも1時間くらいは
聴けるようにセットしていく日々。

頭を左右にふってみたり、
リズムを取り、音楽をしっかり感じていました。

食事は摂れていなかったけど、
心の栄養は摂れていたのでしょうか。。。

胃ろうや、鼻からチューブなどの選択も迫られましたが、
前から延命は望まないと、母の口から聞いていたので、
栄養は点滴のみ・・・

でも、薬をお茶で口から飲ませてもらっているのを見ていたので、
まだ食べられるのでは?という想いが捨てきれず、
嚥下リハビリの先生がヨーグルトをあげているのをみて、
家族でも自己責任で食べさせたいと、先生にお願いし、
これまたようやく、制限つきでヨーグルト、プリンなど
ほんの少しでしたが食べさせてあげることが
できるようになりました。

「おいしい~」と本当に嬉しそうでした。

これまた、
1口でもおいしいと味わってほしいという願いだけでした・・・

8月には、9月までもつかな・・・と
担当医から言われていたくらいでしたのに、
まだまだ起きている時は、私達を笑わせるようなことポツリ言ったり、
笑える表情をしてみたり、相変わらずなオチャメな母でした。

10月の幼稚園コンサートのビデオをみせた時は、
「なんちゅう かわいいの!」と言って
なんともいえない表情をしてみせたり・・・
「よかったーーー」ととても喜んで見てくれました。

ほとんど可能な限り毎日病院に通っていましたが、

先日のルーツーライブの数日前、、、

ナースステーションに一番近い個室に移り、
大きな酸素マスクに変わっていました・・・。

その少し前から息をするのも苦しいと訴えていたようです。


正直、ライブはできるのだろうか・・・

心配しました。

楽器に向かっても気持ちが入らず、
どうしたものか・・・と。

神様は、こんな試練までお与えになるのかと思ってしまった。


でも、また大好きなお花の本をみせたり、
かわいい動物の動画をみせたり、
前日まで、少しでも母のそばにいたくて通い、
安定してきました。


無事ライブをすることができ、
最後の「アイデア」を弾く前には、父との思い出の話も
させていただきました。

毎日朝は父の所に行っていたので、
演奏するたびに、父との思い出を思い起こされていたので・・・
そして、我孫子で教室をはじめることができたのも
父の助けのおかげ…
感謝の気持ちで精一杯演奏させてもらいました。



ライブ翌日は、ずっと母のそばにいられました。
ライブ映像も、ノリながら「カッコいい」と喜んでみてくれました!

でも、時々、点滴の針や尿管も痛がり、嫌がっていることにも気づき、
何を言っているかわからないことも多かったけど、
その日はっきりわかった「どうしたらいいかわからない」の言葉に
胸がえぐられる想いでした。
痰の吸引ももう苦痛でしかなかったはず・・・

その言葉が頭から離れなくて、翌朝兄と姉に
点滴や尿管から解放さえてあげたいと相談、
二人共賛同してくれて、火曜日に先生に
その家族の意向を伝えました。

そして、水曜日の朝点滴などをぬいてもらい、
ようやく自由に。。。
もうがんばらなくて良いから…という想い。。

その水曜日の夜には兄夫婦が
木曜日昼と夜に息子(孫)たちが・・・

まだ母は元気で、みんなも笑顔で記念撮影。

私もレッスンしに家に戻り、終えてからまたすぐ病院へ。
合流した息子達が帰った後、私は時間外の付き添い許可も
もらっていたので、泊まるつもりで残りました。

日付が変わるころ、急に脈も血圧も低下、
どんどん呼吸も弱くなり、
急いで姉にも来てもらい、到着後20分後くらいだったでしょうか、
11/30 午前1時すぎに二人で看取りました。
眠りについたような穏やかな最期でした。

寂しく悲しい気持ちは、もちろんですが、
これで、やっと父と母は会えるという安堵も大きかったです。

そして、やるだけのことはやれたので、悔いはなく、
ただただ父と母への感謝しかないです。


母の葬儀では、著作権の問題でアーティストの曲を
かけられないとのこと、それならばと
私が演奏したものをかけていただくことができ、
結果としてそれも良かったかなと思っています。


この7、8年、さまざまな形での介護を経験してきましたが、
介護などと言えるほどのことは私はしていなく、
病院の先生、看護師さん、施設の介護士さんたち、
ヘルパーさんたち、たくさんの方々に助けていただき
頭の下がることばかりでした。

そんなお世話になった方々に、昨日今日で
感謝の気持ちを伝えてこられたので、
気持ちの上では一区切りついたような気がします。


介護、認知症、延命治療・・・

いろんな本を読み、たくさん考えました。
何が良いのかはわからないです。
これで良かったのかもわからないです。

それぞれの家族でも状況は違うでしょうし・・・

でも、寄り添うにはどうしたらいいか、
本人はどうしたいか、
それを一番に考えてきたつもりです。


今、介護真っ最中の方、これから直面する方
いらっしゃると思うので、

何かしら、考えるきっかけになっていただければと想い、
綴らせていただきました。


最後に昨年4月のアンサンブル発表会に
両親が見にきてくれた時の写真です。

画像


これからも、二人ホールのどこかで
聴きに来てくれるかな。。。

母は、家にいた時いつも発表会の集合写真を見ては
生徒さんたちかわいいと言って喜んでいました。

父も発表会は、楽しみに見に来てくれていたので…

音楽をさせてくれた両親に
心から感謝・・・

その気持ちを持ち続けて、

しっかりやっている姿をみて
安心してもらえるよう、
前を向いてがんばります。

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